日本海軍 連合艦隊 通報艦 八重山
日本海軍 通報艦 八重山
八重山は、日本海軍の通報艦。艦名は、沖縄県の「八重山列島」にちなんで名づけられた。

排水量 常備:1,609t 全長 垂線間長:96.0m 全幅 10.15m 吃水 4.0m
機関 レシプロ蒸気機関2基2軸、ニクロス式缶6基 5,400馬力 燃料 石炭350t
最大速 20.0kt 兵員 200名
兵装 12cm砲3基 47mm速射砲8基 魚雷発射管2門
1887年に横須賀海軍造船所で起工し、1890年に竣工。8月23日、第一種と定められた。機関は英国ホーソンレスリー社製である。
日清戦争では、韓国派遣陸軍部隊の揚陸援護、大連・旅順・威海衛攻略作戦等に参加。
1895年10月、日本領となった台湾において、抵抗した中国人がイギリス商船「テールス号」に逃げたため、「八重山」がこれを追跡して臨検を行うという事件が起きた。これが公海上で行われたことからイギリスから抗議を受け、外務省は海軍に対して責任者の処罰を要求した。その結果、艦長の平山藤次郎海軍大佐と上司の常備艦隊司令長官、有地品之允海軍中将を予備役に編入することで解決が図られた。
1898年8月23日、通報艦に類別された。北清事変においては、大沽に派遣された。
1902年5月1日、海防艦「武蔵」が暴風のため根室湾口で座礁したため、その救助任務中の5月11日、暴風のため根室港厚岸鼻北方で座礁し、9月1日に離礁後、10月から翌年6月まで横須賀造船廠で修理改造を行った。
日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、日本海海戦では第三艦隊、第五戦隊として作戦に嚴島(第三艦隊旗艦) 、装甲海防艦「鎮遠」、巡洋艦「松島」、 巡洋艦「橋立」(第五戦隊旗艦と共に参加。無電の存在しない時代には、その快速を生かして基地間の連絡や偵察任務等に活躍したが、通信技術の進展に伴いその役割を終え、1911年4月1日に除籍、翌年3月23日に売却された。

出典:Wikipedia
製作・シュガー長官
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