ドイツ帝国軍 偵察・攻撃機 エトリッヒ・タウベ (Etrich Taube)


エトリッヒ・タウベ(またはルンプラー・タウベ)は、オーストリアなどでつくられた初期の航空機である。第一次世界大戦初期の軍用機のひとつである。

1910年に初飛行した。ドイツのルンプラー社とライセンス契約して生産が始まったが、ルンプラー社がライセンス料を支払わないので、エトリッヒは特許を放棄したため、ルンプラーをはじめ、アルバトロス、ゴータ、DFW、ハルバーシュタットなど多くの会社が製造し、約500機が生産された。極めて安定性の高い飛行機で、第一次世界大戦が始まると軍用機として用いられたが、運動性能は悪かったので1915年夏には前線から退いた。その後は練習機として用いられた。
日本でも1914年に帝国飛行協会が2機を輸入した。大正博覧会で展示された他、第1回民間飛行大会で磯部鉄吉の操縦で航続記録を出すなど好成績を収めた。第一次世界大戦では、青島要塞攻撃戦でドイツ軍がタウベを1機投入。その機動性に日本軍のモーリス・ファルマン機は翻弄され、急遽前述の民間機の内1機が徴用されて青島に送られたが、停戦により活躍の機会を逸している。

日本軍の攻撃により青島要塞の陥落が決定的となったとき、青島要塞総督ワルデック少将は、タウベに秘密文書の輸送を託し、タウベと2人の飛行士を出発させた。
タウベは脱出に成功し、青島要塞には二度と戻らなかった。
上海に向かったタウベは江蘇省連雲港市での緊急着陸を余儀なくされ、パイロットは中国当局によって拘束されたが、アメリカ人宣教師と現地の中国人が彼等を救出し、秘密文書を携えたパイロットは無事上海に到着した。

タウベとは鳩のことで、主翼と尾翼の形態に由来するが、そもそもは南洋のウリ科の植物アルソミトラ・マクロカルパ(ザノニア・マクロカルパ)の種が10 - 15センチの翅で安定した滑空をすることを知ったオーストリアの設計者イゴ・エトリッヒ(Igo Etrich)博士が、その種子の断面や捩じ下げを取り入れた翼の形の無尾翼グライダーを作ったことにはじまる。動力化にともなって、通常の尾翼・胴体が追加されたが、主翼の特徴的な形はのこった。主翼は翼下面からトラス構造の鋼管で支えるという珍しい構造で、張線で支えた胴体と相まって安定性の高い機体となった。

乗員:2名
全長:8.20m
翼幅:13.80m
翼面積:32.0m2
空虚重量:600kg
総重量:910kg
エンジン:アルグス発動機製4気筒またはメルセデス製E4F型6気筒
出力
アルグス製:74kW
メルセデス製:100kW
最大速度:120km/h
航続時間:4時間
高度:2,000m
製作:シュガー長官
inserted by FC2 system