日本海軍 仮装巡洋艦 信濃丸
日本海軍 仮装巡洋艦 信濃丸
信濃丸は日本郵船のシアトル航路用貨客船として1900年4月、イギリスのデビット・ウィリアム・ヘンダーソン社で竣工し、シアトル航路に就航した。進水 1900年1月30日 竣工 1900年4月 その後 1951年解体

総トン数 6,388トン 載貨重量トン数 6,740トン 主機 三連成レシプロ 2基
出力 4,000馬力(計画)5,144馬力(最大) 航海速力 11.9ノット 最高速力 15.4ノット 船客定員 238名(一等26名、二等20名、三等192名)
仮装巡洋艦としての兵装 十五栂安式速射砲1基、十二斤安式速射砲3基
日露戦争が始まると信濃丸は海軍に徴用。呉鎮守府所属の仮装巡洋艦として整備され、1905年4月僚艦とともに対馬海峡の哨戒にあたった。
5月27日午前2時45分、信濃丸は五島列島白瀬西方40海里の地点を北東方向に向かって航行中、左舷側に同航する1隻の病院船を確認。
確認のため左舷側から接近中に十数隻の艦艇と数条の煤煙を発見。これが対馬海峡に向かうバルチック艦隊であった。信濃丸はただちに「敵艦見ユ」として知られる通報を送信した。
日露戦争後は徴用を解かれ、再びシアトル航路に復帰。その後は近海郵船に移籍した後、日魯漁業でサケマス工船や北洋漁業の母船として活躍。
二次大戦で再び兵員輸送船として徴用され、奇跡的に生き延びて戦後は復員船となった後1951年に解体。強運に恵まれた奇跡の船とも言われている。
製作・国親父座郎
inserted by FC2 system