ロシア帝国海軍 装甲巡洋艦 ロシア
ロシア帝国海軍 装甲巡洋艦 ロシア
装甲巡洋艦ロシアはロシア帝国によって建造された装甲巡洋艦である。
1897年にサンクトペテルブルクのバルト工場で竣工した。
同型艦はグロモボイの一隻のみ。
 
排水量は12000トン級とかなり大型であった。建造当初は同海軍内でも最大、各国の海軍を見ても装甲巡洋艦としては最大級であり、我が国の富士型戦艦とほぼ同じほどの排水量であった。
通商破壊にのみ重点を置いた設計となっており、大型の船体に比して203mm単装砲が4門、152mm砲が16門と些か過少である。
日露戦争に際しては極東ウラジオストクにあり、他の僚艦リューリク、ボガツェーリ、姉妹艦グロモボイの三隻と共にウラジオストク巡洋艦隊を編成した。
同艦隊内においてロシアは戦隊司令官補エーヴァリト・フォン・シュターケリベルク海軍少将が坐乗・司令官補将官旗を掲げ、艦隊旗艦として朝鮮半島沿岸と日本近海での活発な通商破壊戦を展開した。
旅順港閉鎖作戦を展開する日本軍に対し、ウラジオストク巡洋艦隊は第一太平洋艦隊支援のため旅順へと出撃した。
この作戦の途上、艦隊は玄界灘を航行する日本の輸送船隊と遭遇、これを攻撃し「常陸丸」と「和泉丸」を撃沈した。
この戦闘により兵員輸送中であった近衛歩兵連隊千人余りが戦死した(常陸丸事件)
旅順を脱出する第一太平洋艦隊を援護するため、巡洋艦隊はウラジオストクを出撃した。
この作戦の途上、艦隊は上村彦之丞提督率いる日本海軍第二戦隊と遭遇し戦闘となった(蔚山沖海戦)
この戦いにおいて僚艦リューリクが落後し、他の艦艇も重度の損傷を負った。
ロシアを含む残存部隊は幾度となくリューリクへの支援を続けていたが、その沈没が確認されるとやむなくウラジオストクへと撤退した。
説明文参考 : Wikepediaより 

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