日本海軍 防護巡洋艦 松島
日本海軍 防護巡洋艦 松島
明治18年度計画で清国の定遠型装甲艦2隻に対抗する為
日本海軍のお雇い技術者で来日したフランスの造船家エミ−ル・ベルタン
の創案、設計による防護巡洋艦「厳島型」の2番艦である。

排水量4,200トン余りの船体にはにつかぬ主砲である32センチの巨砲を
搭載する特異な艦形を有し僚艦「厳島」「橋立」は船体前部に「松島」は
船体後部に配置した。

「松島」は2番ではあるが1番艦の「厳島」が頻発する故障に信頼性の面から
日清戦争時は旗艦を努める事となる。

1・2番艦の「厳島」「松島」はフランスの建造所フォルジ・エ・シャンティ社で
3番艦「橋立」は建造所横須賀部にて建造される。
4番艦までの計画であったが、信頼性の問題から中止となる。
日清戦争に従軍したが明治27年9月の「黄海海戦」では連合艦隊司令長官
伊東祐亨中将座上の元本隊旗艦を努める。
旧式艦にも関わらず日露戦争も従軍、「日本海海戦」も第3艦隊第5戦隊で従事。
戦後は実務練習艦として遠洋航海に従事中の明治41年4月30日、
馬公にて停泊中火薬庫爆発により沈没、多数の士官候補生と乗員が犠牲となる。
製作・小野浜日記
inserted by FC2 system