日本海軍 連合艦隊 装甲巡洋艦 日進
日進は同型艦春日とともにその装甲の厚さと強武装のため、初戦で失われた戦艦2隻(八島、初瀬)に代わって第1艦隊第1戦隊に編入され、黄海海戦や日本海海戦の主力として活躍した。
日進は日露戦争開戦直前に、日本海軍がアルゼンチン海軍から買い取ったヘネラル・ガリバルディ級装甲巡洋艦2隻のうちの1隻である。アルゼンチン名は「モレノ」。
排水量 基準:7,700t 全長 105.0m 全幅 18.7m 吃水 7.29m
機関 石炭専燃円缶8基+直立型三段膨張式三気筒レシプロ蒸気機関2基2軸推進
最大速 20.0ノット 航続距離 兵員 568名
兵装 20.3cm(45口径)連装砲4門 15.2cm(40口径)単装砲14門 7.6cm(40口径)単装砲8門 45.7cm水中魚雷発射管単装4門
先ず、チリがイギリスのアームストロング社に発注したコンスティトゥシオン級戦艦を、日本とロシアが購入を争ったが、ロシアに売却されそうになったので、日本の同盟国のイギリスがやむなく購入したという前史があった。これがスウィフトシュア級戦艦である。1903年(明治36年)、アルゼンチンの発注によりイタリアはアンサルド社ジェノバ造船所で建造中だったジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦「リヴァダヴィア」と「モレノ」に日本の同盟国の英国が目をつけ、内々に日本に購入を促してきた。
この2隻は、アルゼンチンがチリとの緊張関係にある時期に発注したが、その後両国が和解したため存在が宙に浮いている状態であった。ロシアもこれに気がつき、日露両国で購入合戦となったが、最後は日本が思い切った価格を提示したため、日露開戦直前に日本に売却された。
イタリアから日本へ回航する際には、開戦となれば速やかに攻撃するために、ロシア艦隊が追尾してきた。しかし回航を請け負ったアームストロング社員を護衛する名目で英国艦隊が支援したこともあり、無事横須賀港へ着いた。この時の回航責任者は、鈴木貫太郎海軍中佐であった。
横須賀港到着後「リヴァダヴィア」は春日、「モレノ」は日進と命名され、第1艦隊に属し旅順港閉塞作戦に参加した。特に春日の主砲である「アームストロング 25.4cm(40口径)砲」は連合艦隊の中で最も射程が長く、旅順要塞の要塞砲の射程外から楽々と旅順港内に撃ち込むことが出来たため、港に籠っているロシア旅順艦隊に一定の心理的影響を与えた。
「日進」の主武装は当時の日本海軍の防護巡洋艦「高砂」や装甲巡洋艦の主砲に広く用いられていた「アームストロング 1904年型 20.3cm(45口径)速射砲」を採用していた。その性能は113.4kgの砲弾を、最大仰角30度で18,000mまで届かせられた。この砲を新設計の連装式の砲塔に収めた。砲塔の俯仰能力は仰角20度・俯角5度である。旋回角度は単体首尾線方向を0度として左右125度の旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に水圧で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は1分間に2発であった。
春日と日進がともに参加した日本海海戦の大勝利は、この2隻を売却したアルゼンチン政府や海軍も喜ばせた。これが縁となり、毎年5月27日の旧海軍記念日に開催される日本海海戦記念式典には、英国海軍武官とともにアルゼンチン海軍武官も招かれるのが通例となっている。
日本海海戦では、少尉候補生として山本五十六(当時は高野姓)が乗り組み、海戦中に砲身爆発(敵弾によるとも砲門内爆発ともいわれている)により、左手人差し指と中指を失っている。
製作・kudopapa@副長
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