日本海軍 通報艦 満州
日本海軍 通報艦 満州
満州(まんしゅう)は、日本海軍の通報艦。
後に海防艦となる。艦名は現在の中国東北部の名称の満州からとられた。

1901年(明治34年)オーストリア帝国領トリエステのスタビリメント・テクニコ社で建造された高速客船で旧ロシア帝国汽船「マニジューリヤ」(ロシア語:Маньчжурияマニジューリヤ)。
ロシア東清鉄道の所有で大連、青島、上海市間を就航していたが日露戦争開戦当時、長崎で修理中だった。
そのためそのまま捕獲され1904年(明治37年)「満州丸」と命名、運用は大阪商船に委託され佐世保と前線間の連絡船として用いられた。その後「満州」と改名され1906年(明治39年)に通報艦として日本海軍籍に入る。
主に中国方面の警備や測量などに従事したが、客船時代の豪華な設備はそのままに残されており、観艦式の供奉艦や、来賓や軍幹部、対戦武官などを搭乗させる特別任務によく用いられた。
第一次世界大戦ではシンガポール方面への輸送任務の他に南洋諸島、青島方面の測量任務に就き、関東大震災の際は救助活動や相模湾の再測量を行っている。
1932年(昭和7年)に除籍され、翌年に標的として撃沈処分された。

排水量 常備:3,916トン 全長 垂線間長:103.94m 全幅 13.18m
吃水 4.88m (16ft) 機関 円缶5基 直立3気筒3段膨張レシプロ
2軸 5,000馬力 速力 17.6ノット 燃料 石炭 1,218トン
乗員 169名 兵装 安式8cm砲 2門 保式5cm砲 2門

1905年(明治38年)2月14日 「満州」と改名。
1906年(明治39年)3月8日 艦籍に編入、通報艦に類別。
1912年(大正元年)8月28日 通報艦の類別が廃止されたため二等海防艦となる。
1917年(大正6年)から1918年(大正7年) 第一次世界大戦によりシンガポール方面で輸送任務。
1931年(昭和6年)6月1日 海防艦の等級が廃止され、海防艦となる。
1932年(昭和7年)4月1日 除籍
1933年(昭和8年)9月15日 館山沖で魚雷の標的として撃沈処分。

製作・工作隊員
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