日本海軍 特殊潜航艇 甲標的(真珠湾)       1/72 ファインモールド


甲標的は大日本帝国海軍において最初に開発された特殊潜航艇である。
兵装として魚雷2本を艦首に装備し、電池によって行動する小型の潜航艇である。
後に発電用のディーゼルエンジンを装備し、ディーゼル・エレクトリック方式となった。当初は洋上襲撃を企図して設計されたが、後に潜水艦の甲板に搭載し、水中から発進して港湾・泊地内部に侵入し、敵艦船を攻撃するよう戦術が転換された。
実戦投入された有名な例としては真珠湾攻撃やオーストラリアのシドニー港攻撃や、マダガスカル島のディエゴ・スアレス港の攻撃に用いられた例がある。
いずれも敵に発見されているが、真珠湾攻撃では最近の研究により甲標的による雷撃成功の可能性が指摘されているほか、マダガスカル島の攻撃では戦艦ラミリーズを大破、タンカーBritish Loyalty(6,993トン)を撃沈した。
またシドニー襲撃を行った甲標的は大胆不敵な作戦行動による勇敢さが相手に讃えられた。
(特殊潜航艇によるシドニー港攻撃)

ガダルカナルの作戦では8隻が潜水艦から発進、ルンガ泊地を攻撃し5隻が生還した。
艇はいずれも自沈処分され、搭乗員は上陸し味方基地へ帰投した。戦果は米輸送艦アルチバ(USS Alchiba, AK-23)撃破、米(輸送艦マジャバ(USS Majaba, AG-43))撃破など2隻または3隻であった。

フィリピンの作戦ではセブに主基地を作り、前進基地を設けて甲標的が進出、米船団部隊を狭い水道で襲撃した。
甲標的を熟知した指揮官原田覚少将の作戦指揮のもと、8隻をそろえて集中運用した。
見張所、甲標的専用の整備施設、前進基地など支援態勢を整えたうえ、セブは内海であり、小型の甲標的でも進出索敵が容易であった。
こうした好条件から日本側判定としては艦船20隻を撃沈した。米側は駆逐艦1隻の喪失を記録している。
実際の戦果は乏しかったが作戦自体は高度なもので、1944年11月から1945年3月23日まで、安定して生還と襲撃を繰り返した。

甲標的の欠陥とそれにともなう作戦遂行の難しさは現場の搭乗員たちも理解しており、その不満が人間魚雷「回天」の開発につながることとなる。
甲型
1940年(昭和15年)より量産艇1号機が完成、全52隻。開戦時にはおよそ20隻が完成していた。シドニー襲撃艇はハワイの戦訓から艦首に防材乗り越え用のソリを装着するなどの改良が加えられている。

全没排水量:46t 全長:23.9m 全幅:1.85m 主機:600馬力(電動機)
最大速度:水中 19kt 水中航続距離:80分/6kt 乗員:2名
兵装:45cm魚雷発射菅×2、九七式酸素魚雷×2
安全潜航深度:100m
製作:国親父座郎
inserted by FC2 system