日本海軍 巡洋艦 厳島・ 橋立
日本海軍 巡洋艦 厳島・ 橋立
厳島 橋立は日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍の軍艦。
軍艦種別は巡洋艦(建造時は「大艦」)。防護巡洋艦、二等巡洋艦に類別された。
清国が保有していた戦艦「鎮遠」と「定遠」の2隻に対抗する軍艦として建造された。

主砲であるカネー社製32cm(38口径)単装砲は、ネームシップの松島と違い前部甲板に据え付けられたため、艦形としては収まりがよい。
また、副砲以下の装備についても若干相違がある。
なお、松島型二番艦とするのが普通であるが、松島より先に起工、竣工しているため、厳島型と呼ばれることもある。

明治18年(1885年)、日本海軍に衝撃を与えたのが、清国北洋艦隊に配備された戦艦鎮遠と定遠の2隻であった。
両艦とも基準排水量が7,220t、主砲に30.5cm連装砲を2基4門備え、舷側装甲の最大厚は305mmで当時の列強海軍が極東に配置していた大型艦のどれよりも凌駕する巨艦であり、当時の日本海軍から見ると化け物のような巨大戦艦であった。
焦った日本海軍は、せめて主砲口径だけでも凌駕できる軍艦をつくり、鎮遠・定遠に対抗しようとした。この設計思想に基づき製造されたのが、松島型防護巡洋艦、いわゆる「三景艦」である。
比較的小型の船体に無理に大口径であるカネー社製32cm(38口径)を搭載したため、砲塔を首尾線方向から左右に旋回すれば砲身の重みで重心が狂って艦が傾斜し計算どおりの仰角が取れず、砲撃すれば反動で姿勢が変わって進路まで変わる始末で、おまけに肝心の砲そのものも日本海軍の士官・兵と共に技術未熟で満足な操作が出来ずに故障が頻発し、実戦化に時間が掛かってしまい黄海海戦では全く役に立たなかった。

むしろ、艦隊行動の高速機動性と12cm砲以下の速射砲による戦果が大きく、以後の日本海軍のみならず、世界各国の海軍に大きな教訓を与えた。

4,217トン
32cm砲1門
12cm速射砲12門
47mm砲6門
37mm5連装機砲2基
35.6cm水上魚雷発射管4門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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