大英帝国海軍 戦艦 カナダ (HMS Canada)


カナダ (HMS Canada) は、イギリス海軍の超弩級戦艦。しばしば外観からアイアン・デューク級戦艦の一隻と見なされるが、アイアン・デュークの主砲は34.3cm砲に対し本艦は35.6cm砲と異なる。

船体形状はアイアン・デューク級と同じく短船首楼型船体で、艦首形状はこの頃のイギリス式設計の特徴である艦首浮力を稼ぐために水線下部は前方向にせり出した形状となっていた。傾斜のまったくない艦首甲板に35.6cm連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上方から見て菱形の上部構造物が始まり、甲板一段分上がって三角柱型の艦橋構造を基部として頂上部と中段に見張り所を持つ三脚式の前檣が建っていた。その背後には間隔の狭い2本煙突が立つ。煙突の周りは艦載艇置き場となっており、煙突の間に設置されたジブ・クレーン1基により運用された。2本の煙突は前後で大きさが異なっており、1番煙突の断面は円形だが2番煙突は前後に長い小判型をしていた。2番煙突の背後から中部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基、その後ろに後部見張り台と単脚式の後檣が立ち、艦尾甲板上に35.6cm連装砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置された。
船体サイズは主砲に35.6cmを採用したためにアイアン・デューク級よりも船体長を約11.4m伸ばし全長は201mとなった。これは、当時のグランド・フリートの戦艦では最長のエジンコートの204.7mに次いで長かった。また、船首楼甲板は短くなった代わりに後部甲板の面積は広くなった。完成当時のイギリス海軍の超弩級戦艦の中で本艦は最も全長が長く、均等に配置された主砲塔配置と相まって最も強力かつ見栄えのする戦艦と称された。

本艦は1929年から1931年にかけてイギリスのデヴォンポート造船所にて近代化改装を受けた。外観面では水雷防御を強化すべく船体の水線部にバルジを追加したために艦幅は31.4mとなり排水量も常備28,662トン・満載32,800トンへと増加した。 老朽化した機関もボイラーが重油専焼水管缶へ換装されて推進機関もギヤード・タービンとなったが煙突の本数は変わらなかった。この時に7.6cm速射砲2基を撤去し、対空火器として「10.2cm(45口径)高角砲」を単装砲架で艦橋の側面と後部マストの側面に片舷1基ずつの4基を追加した。
1932年にカタパルト1基とフェアリー III型水上機1基を搭載した。1938年に「ヴィッカーズ 4cm(39口径)単装ポンポン砲」を単装砲架で2基と「オチキス 13.2mm(76口径)機関銃」を単装砲架で2基を追加した。1944年にカタパルトと水上機を撤去し、13.2mm単装機銃4丁を追加した。1950年代に4cmポンポン砲を全てと13.2mm単装機銃全てと53.3cm水中魚雷発射管4門を撤去し、「エリコン 2cm(70口径)機関砲」を単装砲架で19基を搭載し、SG型対空レーダーを装備した。

本艦の主砲には新設計の「Mark I 35.6cm(45口径)砲」を採用した。その性能は重量719kgの砲弾を最大仰角20度で22,310mまで届かせることができた。この砲を連装砲塔に収めた。俯仰能力は仰角20度・俯角3度である。旋回角度は1番・2番・4番・5番主砲塔は船体首尾線方向を0度として左右150度の広い旋回角度を持っていたが、2番煙突と後檣基部に囲まれた3番主砲塔のみ艦尾方向を0度として左右15度の死角があった。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に水圧で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分2発である。

当初はチリ海軍によってリベルター (Libertad) として議会に建造が承認されたが、その後発注段階において改名されバルパライソ (Valparaiso) としてアームストロング社に発注された。1911年11月に起工されたが、進水前にフアン・ホセ・ラトーレ提督に敬意を表してアルミランテ・ラトーレ(Almirante Latorre)と改名された。第一次世界大戦勃発時には未完成状態であったが、1914年9月にイギリス政府によって購入され、カナダと改名された。

就役後はグランド・フリートの第4戦隊に所属し、1916年のユトランド沖海戦に参加した。その後は第1戦隊に所属する。戦後の1919年から1920年8月までデヴォンポート造船所で戦訓に基づき水平防御強化を初めとする近代化改修が行われた。

本艦は改修中の1919年にチリに売却され、アルミランテ・ラトーレ(Almirante Latorre)の艦名で1921年2月から就役した。なお、アルミランテ・ラトーレがイギリス政府に購入された際、船体が建造中であった姉妹艦のアルミランテ・コクラン (Almirante Cochrane) も共に購入されている。しかしながらアルミランテ・コクランは戦艦としては完成せず、航空母艦イーグル (HMS Eagle) として完成したため、チリ海軍には売却されなかった。ちなみに当時の南米はアルゼンチンとブラジルが弩級戦艦2隻を保有しており、チリが超弩級戦艦2隻を保有する事はバランスを崩す可能性があったのだが、結果としてチリ海軍は超弩級戦艦を1隻のみ保有する事となり、軍事バランスが均衡する事になった。イーグルは1942年に戦没している。

1931年9月、アルミランテ・ラトーレの乗組員は賃金カットに抗議して反乱に参加した。その後もチリ海軍での近代化改修によってアルミランテ・ラトーレは1958年まで現役任務を継続することができた。

アルミランテ・ラトーレは1958年に売却、1959年に日本でスクラップとして廃棄されたが、当時最後まで残った第一次世界大戦参加艦の1隻でもあった。本艦の部品は三笠が復元される際にチリ政府より寄贈された。三笠もイギリスで建造された艦であり、カナダは三笠よりも10年以上後に建造されたものの、多くの部分で共通点があった。

製作:西瓜
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