ロシア帝国海軍 戦艦 ボロディノ
ロシア帝国海軍 バルチック艦隊 第一戦艦戦隊 戦艦 ボロディノ
ボロディノはクニャージ・スヴォーロフと同じくフランスの造船士官ラガヌ氏により設計・建造された前弩級戦艦「ツェサレーヴィチ」をベースにしてロシアで改設計し建造されたものである。
4隻からなる「ボロディノ」級のネームシップで当時は世界最強の戦艦とも云われていたが、ロシアでの建造時に重量が増加し、復元性や航洋性に問題を抱え込んでいた。
武装もクニャージ・スヴォーロフと同じく主砲に30.5cm(40口径)連装砲2基、副砲に15.2cm(45口径)連装速射砲6基、 対水雷艇用に7.5cm(50口径)単装速射砲20基、オチキス 4.7cm(43.5口径)単装速射砲20基が装備されており、当時の艦艇としてはかなりの重武装であった。
またその他に、魚雷発射管4基にマキシム機銃や50個の機雷も搭載していた。
日本海海戦時、第一戦艦戦隊にいたボロディノは旗艦クニャージ・スヴォーロフが損傷脱落した後、それを追って北へ追撃する連合艦隊を振り切るように戦艦アレクサンドル3世を先頭にウラジオストックへ向かって逃走を開始した。
しかしこれに気づいた第2戦隊旗艦出雲の上村彦之丞中将は、「我に続け」の信号旗を出して、第2戦隊はロシア艦隊への猛追撃を開始し、やがて、戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」の前へ回り込むことに成功した。
3,000mに距離を詰めると双方の砲撃戦が始まり、たちまち第2戦艦隊の先頭にあった戦艦「シソイ・ヴェリキー」が猛火に包まれ戦線から離脱した。
「クニャージ・スヴォーロフ」に代わってロシア艦隊を率いていた戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」も浸水によって艦が傾き戦線から離脱した。
舵を損傷した戦艦「クニャージ・スヴォーロフ」を追っていた日本の第1戦隊は、ロシア戦艦1艦のみが北上しているだけなのですぐに間違いに気付いたが、すでにロシア艦隊は南東に遠く去っており、その方向に探しながら戻って来ていたところ、偶然「ボロディノ」など逃走中のバルチック艦隊と鉢合わせして、東から追いかける第2戦隊と思いがけず挟撃する形になった(「乙字戦法」)。
この時の艦隊運動を見ていたロシア海軍士官は、「日本艦隊の艦隊運動はまさに神のごとくであった。」と語っている。
こういった艦隊運動と砲撃戦によって、時間と共にロシア艦隊は傷つき、戦艦「ボロディノ」を含め少しずつ艦を海中に失っていった。

Wikipediaより参照。
製作・国親父座郎
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