日本海軍 戦艦朝日

日本海軍 戦艦 朝日

朝日は日本海軍の戦艦。敷島型戦艦の2番艦である。日露戦争、第一次世界大戦では主力艦として参加し、日中戦争、太平洋戦争では工作艦として参加、40年以上に渡り活躍した。
1897年(明治30年)度の「第一、二期海軍拡張計画」により「第二号甲鉄戦艦」として英国クライド・バンクのジョン・ブラウン社で建造された。公試の帰りに座礁する事故があり、竣工が予定より約3カ月遅れたという[2]。1900年(明治33年)7月31日に竣工し、引き渡し当日にイギリスを出発、同年10月23日に横須賀に到着した。日本海軍としては4隻目の近代的戦艦となった。

1904年(明治37年)からの日露戦争では第一艦隊第一戦隊として旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦に参加した。

第一次世界大戦では1918年(大正7年)に第三艦隊第五戦隊の旗艦としてウラジオストック方面の警備に従事した。1921年(大正10年)には海防艦へ類別が変更されている。

太平洋戦争開戦により第2艦隊に配属されカムラン湾に進出、1942年(昭和17年)2月にシンガポールが陥落すると翌月には同地に進出、工作艦「明石」と共に損傷修理に活躍した。
同年5月22日[3]に自身の修理と北方方面への移動の為にシンガポールを出発、日本へ向かった。しかし旧式低速の大型艦であったため敵潜水艦の格好の目標となってしまい、5月25日の深夜にカムラン湾南東で米潜「サーモン」の雷撃を受け左舷に2発が命中、翌26日午前1時過ぎに転覆沈没した。この時乗員の多くは救助されたが戦死者十数名を出した。

排水量 常備:15,200トン 全長 129.62m (425ft 3in) 全幅 22.92m (75ft 2in1/2)
吃水 8.31m (27ft 3in) 速力 18.0ノット 乗員 836名
兵装 40口径30.5cm連装砲2基 40口径15.2cm単装砲14基 40口径7.6cm単装砲20基 47mm単装砲12基 45cm水上魚雷発射管4門
装甲 HS(ハーベイ・ニッケル)鋼 舷側:最大9インチ(229mm) 甲板:最大4インチ(102mm)

出展:ウィキペディア
製作・北國海軍工廠
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