日本海軍 連合艦隊 戦艦 朝日
日本帝国海軍 戦艦 朝日
日露戦争時の主力戦艦:敷島型の2番艦として1900年に英国クライド・バンクのジョン・ブラウン社で竣工しました。
基本的な性能は1番艦の敷島とほぼ同等ですが、外見上は第2煙突が幅広の特異な2本煙突であるため、比較的容易に識別できます。
割とトラブルに見舞われることの多い艦で、引き渡し前のイギリスで座礁事故を起こし、日露戦争時の旅順沖では触雷していますがいずれも大事には至らず、同じ旅順沖で触雷沈没した八島や初瀬とは明暗を分けています。
旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦に参加。
日本海海戦では第1戦隊の4番艦として活躍しています。
本艦は海戦翌日のネボガドフ提督の降伏時に、大破していた戦艦オリョールの乗員を収容していますが、乗艦を手ひどく破壊されたオリョールの乗員たちは、既に損傷が仮修復されている上に艦上が見事に整頓されている本艦を見て、それが前日に自分たちと猛烈な砲火を交わした相手であることが信じられなかったと言われています。

本艦は日露戦争後も長く使用され、第一次世界大戦では1918年(大正7年)に第三艦隊第五戦隊の旗艦としてウラジオストック方面の警備に従事しました。
1921年(大正10年)には海防艦へ類別が変更されている。工作艦時代も含めれば40年以上も現役であり続けましたが、1942年シンガポールから日本への移動中に米潜水艦の雷撃を受け沈没しました。

排水量 常備:15,200トン 全長 129.62m (425ft 3in) 全幅 22.92m (75ft 2in1/2) 吃水 8.31m (27ft 3in) 機関 ベルビール缶25基 3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸、15,000馬力 速力 18.0ノット 航続距離 不明 燃料 石炭1,549トン 乗員 836名

兵装 40口径30.5cm連装砲2基 40口径15.2cm単装砲14基 40口径7.6cm単装砲20基 47mm単装砲12基 45cm水上魚雷発射管4門

製作・衛
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