大英帝国海軍 水上機母艦 (HMS Ark Royal)


アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal) は、イギリス海軍で航空母艦として完成した最初の艦。
1934年にペガサス (HMS Pegasus) と改名された。

イギリス海軍は装甲巡洋艦から水上機母艦に改装されたハーミーズ (HMS Hermes) を運用していたが、航空機運用のための別の艦が必要であった。1913年[2]にブライス・シップビルディング社で建造中であった貨物船を81,000ポンドで購入し、この7,000トンの船を水上機母艦を完成させ、アーク・ロイヤルと命名した。アーク・ロイヤルより先に就役したエンガディン (HMS Engadine) やハーミーズといった艦は、他の艦種から改装された艦であり、航空機を運用するための艦として完成したのはアーク・ロイヤルが初めてであった。

水上機母艦に改装するために大きな設計変更が行われ、推進機関は後方に移動し、艦の前方半分を作業デッキが占めた。
甲板は前方に平坦部を作り、艦上から水上機の発艦も意図されていたが、実現されなかった[3]。艦は長さ150ft、幅45ft、高さ15ftの巨大な航空機ホールドを作業スペースの横に装備した。3トン蒸気クレーン2基が甲板に装備され、水上機を引き揚げ回収することができた。
アーク・ロイヤルは水上機5機および通常の航空機2機を運ぶことができた。航空機は発艦後は地上基地へ着陸しなければならなかったが、水上機は艦の側に着水後、クレーンで回収することで再び運用できた。
搭載機は、ソッピース807型水上機2機、ライト・プッシャーズ2機、ショート135型機1機およびソッピース・タブロイド2機であった。
アーク・ロイヤルはブライス・シップビルディング社で1914年12月に就役、1915年2月1日にダーダネルス海峡へ向けて出航し、連合軍の上陸部隊を5月まで支援した。その後休戦まで地中海東部で活動した。1918年1月に搭載機のソッピース・ベイビー2機がオスマン帝国の巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムへの爆撃を試みた。
戦後アーク・ロイヤルは黒海で活動し、ロシア内戦で白軍支援のためバトゥミへ航空機を運搬した。さらに、ソマリアにおけるムハンマド・アブドラ・ハッサン率いる民族主義者との戦いにおいて、陸軍を支援した。1920年には白軍のクリミア半島からの撤退を支援した。その後、アーク・ロイヤルは帰国し修理のためロスサイスで予備役となる。
1922年9月にアーク・ロイヤルは、チャナック危機において地中海へ航空機を運搬するため再就役した。1923年4月にはマルタで別の修理が行われた。1934年12月、アーク・ロイヤルはその名を新型空母に譲るため、ペガサスと改名された。

ペガサスは第二次世界大戦中の1940年に戦闘機カタパルト艦へ転換されたが、活躍の場面はごく僅かなものであった。
1946年には売却され、アニタ1世 (Anita I) の船名で民間船への改修が始められた。しかし改装工事は中止され、1950年にスクラップとして解体された。

Wikipediaより
製作:西瓜
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