日本海軍 連合艦隊 装甲巡洋艦 吾妻
吾妻は、大日本帝国海軍が日露戦争前にフランスのロワール社から購入した最初期の装甲巡洋艦。本艦は六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で八雲型に次いで整備された艦である。

進水 1899年6月24日 就役 1900年7月28日 除籍 1944年2月15日

排水量 基準:9,326トン 全長 135.9m、水線長:131.3m 全幅 18.1m 吃水 7.2m 
機関 ベルヴィール式石炭専焼缶24基直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 17,000hp 最大速 20.0ノット 航続距離 10ノット/7,000海里 乗員 644名
兵装 20.3cm(45口径)連装砲2基 15cm(40口径)単装砲12基 8cm(40口径)単装砲12基 47mm単装砲12基 45.7cm水上魚雷発射管単装1基 45.7cm水中魚雷発射管単装4基
明治31年(1898年)ロワール社のサン・ナゼール造船所にて起工。
政治上の理由(イギリスばかりに発注していては外交上問題があったから)によりフランスに発注された。また同様の理由で八雲はドイツに発注されている。

船体形状は典型的な平甲板型船体であり、同世代に建造された装甲巡洋艦「八雲」と同様の様式であるが、本艦はフランス式設計のために六六艦隊の中でも異彩を放った。
この頃のフランス装甲巡洋艦の常として排水量に比して船体が前後に長く、幅の狭い船型であった。また、缶室を二つに分離し、前後に離して配置したために二番煙突と三番煙突の間が離れていた。そのため、同じ三本煙突の「八雲」とは遠方からでも容易に区別がついた。
また、装甲巡洋艦の中では本艦のみ吸気と排気を同時に行う二重構造のフランス式煙突と強制通風装置を採用しており、同世代のイギリス・ドイツ・イタリア軍艦は煙突付近に煙管を立てたような「通風筒」がニョキニョキと林立しているものだが、本艦では数が少ない。これら通風筒は戦闘時に甲板上の火災や砲弾の破片を艦内に引き込んだりするため、日露戦争後の戦訓で本数を減少させたり、通風装置を強化したが、本型は設計段階で考慮に入れられており、非常に先進的な考えで建造された艦といえる。
本級は六六艦隊の中でも特に船体の全長が135.9mと長く、ドックでの整備の際には浦賀ドックを使用しなければなかったと言うエピソードがある。そのため、浦賀には本艦の写真が多く残っている。
1904年4月16日、装甲巡洋艦出雲等と第2次ウラジオストック砲撃の目的で韓国海州邑を出港22日元山寄港後ウラジオストックに向かったが濃霧のため目的を達せずに反転、元山寄港28日ウラジオストックを攻撃後朝鮮海峡で警備に従事
1904年5月第2艦隊第2戦隊に所属して蔚山沖海戦に参加、第二艦隊第二戦隊の主力艦として活躍した。
製作・kudopapa@副長
製作記録
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