ロシア帝国海軍 防護巡洋艦 ヴァリャーグ
ロシア帝国海軍 防護巡洋艦 ヴァリャーグ
ヴァリャーグ -Varag− は1900年、アメリカ  ウィリアム・クランプ&ソンズ/フィラデルフィア造船所で建造された防護巡洋艦で基準排水量
6,500d、速力23ノット、武装は15センチ砲12門、8センチ砲12門、魚雷発射管3門を搭載した当時の最新鋭艦でした。
竣工当時はバルト海に配備されましたが、1902年対日関係が緊迫する極東旅順艦隊に配備されました。
2年後の1904年2月8日朝鮮半島仁川港港外にて僚艦コレーツと共に待ち構えていた日本海軍装甲巡洋艦「浅間」を初めとする優勢なる日本艦隊と砲撃戦の末、大きな損害を被り多数の死傷者がありながらも仁川港内に逃れ、ルードネフ艦長は戦闘を断念し「敢えて敵の手に渡るよりは名誉ある自沈の道を。」とキングストン弁を開き自沈しました。
日露戦争劈頭、優勢なる日本海軍との戦いに敗れ自沈を余儀なくされたワァリャーグですが、1年後に浮揚され修理を行い「宗谷」と命名され、その後はロシアに変換され第1次大戦に参加し、1917年イギリスのリバプールでボイラー修理中にロシア革命が起こり、イギリス側に接収され補給艦となり使用されていたが座礁事故により1921年にはスクラップとなりその生涯を閉じました。
仁川沖海戦で生き残ったルードネフ艦長以下乗組員は帰国後ニコライ1世から「英雄」として称えられ、後に親露的なドイツの詩人がその栄誉を讃える詩を発表すると翻訳作曲されロシア海軍の軍歌として第2次大戦中はもとより現在でも歌われています。
また現在は太平洋艦隊に所属するスラヴァ級ロケット巡洋艦にその名が引き継がれ、数年前には海上自衛隊創設50年記念観艦式にも参加した事も記憶に新しい事です。
製作・国親父座郎
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