ロシア帝国海軍 防護巡洋艦 スヴェトラーナ
ロシア帝国海軍 防護巡洋艦 スヴェトラーナ
スヴェトラーナは1896年12月フランスのル・アーヴルにあるフォルジュ・エ・シャンチエ造船所にて進水。
排水量 3770t 速力 21.6 kn
武装が二線級で、武装ヨットや補助巡洋艦とも呼称され、平時における外交交渉や、外交接待に際する使用が主として求められていたがバルチック艦隊の極東進出に伴って、47 mm砲4 門と75 mm砲を装備し多少の武装強化が施された。
日本海海戦では第2巡洋艦隊の一艦として戦闘に参加。
セルゲイ・シェイン大佐の乗艦の下、アルマース、ウラール、ジェームチュク、イズムルートからなるロシア艦隊の偵察部隊を率いた。
戦闘が開始され、スヴェトラーナは、日本海軍の砲弾によって艦首に破孔を穿たれ大破し戦線を離脱。
ウラジオストックへの逃走を試みたが、日本海軍の三等巡洋艦新高および音羽は執拗にこれを追撃した。
シェイン大佐は朝鮮半島海岸で自沈することを決意し、艦の進路を西へ変更したが舵機に被弾し蛇行を始めたため艦の自沈を命じたが、弾薬庫は浸水し自爆をすることは既に不可能となっていた。
5月28日午前11時ごろまで戦闘は続いたが、満身創痍のスヴェトラーナは横転し沈没した。
このとき既にシェイン大佐は戦死、副官のアレクサンドル・ズーロフ中佐も瀕死の重傷を負っていた。
生存者291名は日本の特設巡洋艦亜米利加丸によって救助された
製作・国親父座郎
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