ドイツ帝国海軍 巡洋戦艦 ザイドリッツ (SMS Seydlitz)


本艦は第一次大戦開戦時の第一偵察艦隊旗艦で、リュッツォウに旗艦を譲るまでその任にありました。
ドッガーバンク海戦やジュットランド海戦に参加し、そのたびに大きなダメージを負いながら生還した武勲の艦です。
特にジュットランド海戦では、21発もの大口径砲弾と1本の魚雷を受け満身創痍となりながらも沈まず、図らずもドイツ艦の打たれ強さを証明することになりました。
更に同海戦では僚艦デアフリンガーと共同で英巡洋戦艦クイーン・メリーを撃沈する戦果を上げています。
海戦においては奇跡的な生還を果たした本艦ですが、最終的には有名なスカパフローでの一斉自沈で自沈しています。

ザイドリッツ (SMS Seydlitz) とはドイツ帝国海軍の巡洋戦艦 (Schlacht kreuzer)で同型艦はない。1913年にドイツ、ハンブルクのブローム&フォス社で建造された。艦名はオーストリア継承戦争・七年戦争で活躍したプロイセン王国騎兵軍の将軍フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ (Friedrich Wilhelm von Seydlitz) にちなむ。
ザイドリッツはモルトケ級巡洋戦艦を改良したものである。基本的にモルトケ級もザイドリッツもドイツで最初の巡洋戦艦フォン・デア・タンの改良形であり、モルトケ級を拡大したザイドリッツは最終型という見方が強い。モルトケ級は、比較的穏やかな波でさえ艦首甲板に海水が降りかかるという悪評があった。そこで本艦の設計には耐航性を改善するという意図が盛り込まれ、艦首甲板をより高くし、充分な乾舷を得て外洋航行時の安定性と凌波性を獲得した。
船体形状は短船首楼型船体を採用した。
艦首から構造を記述すれば、舷側砲塔に射界を確保すべく幅の狭い船首楼上に新設計の「1911年型 28cm(50口径)砲」を連装砲塔形式で1番主砲塔を1基配置、その背後に船橋(ブリッジ)を左右に持つ司令塔を内部に組み込んだ操舵艦橋と前部マストが立ち、1番煙突の基部で船首楼は終了して甲板一段分下がって中央甲板上に1番煙突の右側に2番主砲塔があり、2番煙突を挟んだ対角線上に3番主砲塔が配置された。2番煙突の基部にはジブ・クレーンが片舷1基ずつ計2基設置され、船体中央部の空いた箇所に艦載艇が並べられた。その後部に後部マストと見張り所が配置し、4番主砲塔から更に甲板一段分下がって後部甲板上に5番主砲塔が配置された。船体の舷側部には同時期のイギリス海軍の巡洋戦艦にはない副砲が配置され、舷側には15cm単装砲がケースメイト(砲郭)配置で片舷辺り6基で計12基を配置した。この武装配置により艦首方向に最大で28cm砲4門・15cm砲2門、左右方向に最大28cm砲10門・15cm砲6門、後方向に28cm砲6門・15cm砲2門が指向できた。
本級の主砲は「SK L/50 1911年型 28cm(50口径)砲」を採用した。その性能は重量302kgの主砲弾を最大仰角13.5度で射距離18,100mまで届かせる事ができる性能を有し、これを連装砲塔に納めた。砲塔の俯仰角能力は仰角13.5度・俯角8度で発射速度は毎分3発であった。射界は、中心線上の1番・4番・5番主砲塔は首尾線方向を0度として左右150度の旋回角度を持っていたが、舷側配置の2番・3番主砲塔は上部構造物により射界に制限があった。後に第一次大戦中に砲塔を改造して仰角16度・俯角5.5度にし、最大射程距離を21,700mに延伸した。
副砲は水雷艇の襲撃を警戒し、速射性を重視して「1906年型 15cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は重量45.3kgの砲弾を最大仰角20度で18,900mまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角20度・俯角7度で、旋回角度は舷側ケースメイト配置で150度の旋回角度を持っていた。発射速度は毎分5~7発である。
同じく対水雷艇用に、ドイツ軍艦に馴染みぶかい「1905年型 8.8cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は重量9kgの砲弾を最大仰角25度で10,694mまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角25度・俯角10度であった。発射速度は毎分15発である。他に主砲でも対応できない相手のために45cm単装魚雷発射管を水線下に4門装備した。
本艦は第一次世界大戦中の1914年11月3日にヤーマス襲撃に参加した。次いで、1915年1月24日にドッガー・バンク海戦に参加した。この時、ザイドリッツはフランツ・フォン・ヒッパーの旗艦であった。海戦においてイギリス海軍のライオン級巡洋戦艦「ライオン」の13.5インチ砲から放たれた砲弾2発のうち1発はザイドリッツの船首楼に、もう1発は後部5番主砲塔バーベットの230mm装甲に食い込んで炸裂した。この衝撃で装甲板が剥離し、破片が火炎と共にバーベット内に侵入、装填作業中であった装薬に引火した他、直下の弾薬庫内の装薬にも次々と引火して火災を起こした。4番・5番主砲塔2基は隣接しており、通路の鉄扉が開いていたために、爆炎は4番主砲塔側にも侵入し、装薬が次々と引火して2基の主砲塔は炎上した。この爆発によって160名の乗組員が殺傷され、2つの砲塔は機能を失った。しかし、ザイドリッツの副長 (Executive officer) が5番主砲塔の被害時に、迅速に弾薬庫の砲員へ注水作業を行うように命じた事と、ドイツ製装薬の火災がゆっくりした物で爆発ではなく火災に留まった事から、無事鎮火した。
装薬はあらかた燃え尽き、それ以上の災厄を起こさなかった。このお陰で船体の破壊が抑えられ、推進軸が破壊されなかったため、ザイドリッツは無事に母港に帰還できた。この一方、ザイドリッツは「ライオン」に2発の28cm砲弾の命中を与えた。1発は前部主砲塔の側面装甲に着弾、衝撃で装甲板に貫入し、そこで炸裂して大穴を開け、大浸水を引き起こした。応急処置の失敗により「ライオン」は最終的に16度も傾斜して戦闘不能となり、次いで機関区に浸水して機関停止となった。航行不能となった旗艦「ライオン」はインヴィンシブル級「インドミタブル」に曳航してもらう羽目に陥った。
1916年のユトランド沖海戦では、巡洋戦艦部隊を率いていたヒッパーの旗艦、巡洋戦艦「リュッツオウ」が沈められた。ヒッパーは再びザイドリッツに乗艦して指揮をとった。ザイドリッツは30.5cm砲を持つデアフリンガーと共同で攻撃し、巡洋戦艦「クイーン・メリー」から4発の命中弾を受けた。うち1発は4番主砲塔バーベットで炸裂した13.5インチ砲弾であり、またしても砲塔内の装薬が引火しこの砲塔は旋回不能となった。ザイドリッツは火力の20%を失うも、反撃で4発の28cm砲弾を命中させ、30.5cm砲弾と28cm砲弾の乱打を受けたクイーン・メリーは艦首側弾薬庫が引火して爆沈した。その後、ザイドリッツはイギリス第五艦隊からの38.1cm砲や15.2cm砲、第三巡洋戦艦艦隊からの30.5cm砲の砲撃により艦首から舷側にかけて破口を開けられ、さらにイギリス駆逐艦からの53cm魚雷1発が1番主砲塔の真下に命中。魚雷被害により艦首に浸水し、艦首が沈降するに従って他の艦首の穴からも浸水し、みるみる前のめりに水没して行った。
この海戦終了時にはザイドリッツは21発の大口径砲弾と53cm魚雷1本が命中して死者98名、負傷者55名を出し、消火と浸水により2,300トンもの浸水を起こしていた。大破判定を受けた艦首が水線下に没すれば前進は困難であり、艦長が自沈を決意する事は自然であったが、本艦は船首楼による高い乾舷が波を切り、甲板からの浸水を防いだ事に助けられて帰港することができた。この時点でザイドリッツは速力22ノットが発揮可能であり、艦隊に追随していた。しかし、徐々に破口や魚雷の破壊孔からの浸水で速力が落ち、艦隊から落後して単独で帰還する羽目になった。一時は15ノットまで速度を落した艦隊に追いつくも、ザイドリッツは浸水し続けて速度が7ノットに低下、再び落伍、艦首の破口や副砲の開口部から浸水するに及んで前進不能となった。しかしザイドリッツは艦尾を進路に向けて後進をかけ、3ノットで帰還を開始、沿岸部で救援の排水ポンプを積んだ船と合流した。艦首の浸水をくみ出すもヴィルヘルムスハーフェンに到着した時には5,300トン近い海水が流入してしまい、艦首の吃水は14mに達して関門に入れず、已む無く湾口に座礁させた。問題を解決するに際し、1番主砲塔を解体して軽量化を図り、少しでも吃水を上げると同時に、大潮の時間を見計らって関門へ進入し、ようやく修理ドックにまで行き着いた。復旧には約3か月を要したものの、ザイドリッツは他のドイツ主力艦よりも数多くの攻撃を受けながら生き残り、ドイツの巡洋戦艦が基本的に強固に作られていたことを証明し、注目を浴びた。

Wikipediaより
製作:衛
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