ロシア帝国海軍(ソヴィエト海軍) 戦艦セバストーポリ 1/350 ズベズダ |
戦艦セバストーポリは日露戦争後の海軍再建を目指した1908年計画により、ロシア初めての弩級戦艦であるガングート級の1隻として他の3隻と共に1909年から起工された。 3連装砲塔4基を全て中心線上に配置し、ドイツ海軍の弩級戦艦ヘルゴラント級戦艦(1911年竣工)や日本海軍の河内型戦艦(1912年竣工)の30.5cm砲12門の2連装砲塔6基の六角形配置に比べ、優れた設計だった。 |
しかし、船体強度の設計ミスと予算不足により完成が遅れ、竣工した1914年当時イギリス海軍では既に34.3cm2連装砲5基を全て中心線上に配置した超弩級戦艦アイアン・デューク級戦艦が完成していた。 防御面では、近代化改装の際に水平防御や水雷防御について改善が行われたが、航空攻撃に対する各艦の損害状況を見ると不十分であったと思われる。 |
1914年11月、セバストーポリはロシア海軍最初の弩級戦艦、ガングート級の4番艦としてバルト海で竣工した。 1918年2〜3月、ドイツ軍の進出に伴いヘルシンキやタリンの前線基地から、氷結したバルト海を渡りクロンシュタットに後退する作戦に参加。 1921年3月、クロンシュタットの反乱に乗員の多くが参加したが反乱は失敗に終わり、生き残った8000人が徒歩でフィンランドへ亡命する結果となった。 1921年3月31日、パリジスカヤ・コンムナと改名。 |
1941年6月22日、独ソ戦開始後、主に黒海を往復する船舶の護衛任務に就いていたが、セヴァストポリの戦いの進展に伴い陸上作戦支援に転じた。 10月、セヴァストポリ軍港にドイツ軍の脅威が迫り、巡洋艦モロトフや駆逐艦と共にコーカサス地方へ撤退。 11月8日、駆逐艦スミイシェレニイと共に、セヴァストポリ南の枢軸軍拠点に対し砲撃。主砲弾146発、5.1in砲弾120発、4.7in砲弾299発を発射。13両の戦車、8門の野砲、4台の列車砲、37両の軍用車両を破壊した。 1943年5月31日、艦名を旧名セバストーポリに戻す。 1954年7月24日、練習艦となり、1956年2月17日、除籍。 1956-57年、解体される。 |
全長 184.9m 全幅 26.9m改装後32.0m 最大速 23kt改装後:21.5kt 兵員 1120名 兵装 305mm砲3連装4基 120mm砲単装12基(竣工時16基)76.2mm単装砲6基 37mm単装機関砲12基 13.2mm4連装機銃6基 装甲 水線229mm 甲板76mm 砲塔203mm バーベット203mm 司令塔245mm |
製作:AKG |