大英帝国海軍 戦艦ネプチューン (HMS Neptune)


ネプチューン(HMS Neptune) は、イギリス海軍が第一次世界大戦前に建造した弩級戦艦で同型艦はない。

イギリス海軍はドイツが多数の弩級戦艦の建造を行わないとの見通しから1908年度計画の戦艦建造は1隻にとどめられた。これが本艦である。本艦の特色として主砲塔配置の変更があり、30.5cm(12インチ)砲10門を連装砲塔5基に収め、2・3番主砲塔を両舷側に配置した「ドレッドノート」から連綿と続けられた主砲塔を甲板に直に配置する形式は主砲10門あっても片舷に指向できるのは実際に8門しか指向できず、主砲門数の指向に無駄があるために本艦に於いて大幅な武装配置の変更が図られた。

その後ドイツの大量建艦計画が明らかになったため、翌1909年計画で本艦の改良型であるコロッサス級戦艦2隻が追加建造された。

本艦でイギリス戦艦では初の試みとして2・3番主砲塔の位置を前後にずらして梯形配置とし、上部構造物による射界の制限は有るが両舷への全門斉射を可能とした。このため、船体長が伸びて建造費の増加を及ぼす恐れがあったため、既存の戦艦では後部甲板上に直に並べられていた4番・5番主砲塔を、イギリス戦艦初の背負い式配置とする事でスペースの削減を行ったために最終的に全長の増加は15m程度に抑える事ができた。しかし、梯形配置とした2番・3番主砲塔を反対舷に向けて全斉射すると船体に予想外の力がかかることが判明し、後日船体の強化工事を行っている。更に背負い式配置とした4番・5番主砲塔を後方に向けて射撃した場合に5番主砲塔上に設けられた換気穴や照準穴から爆風が吹き込み、5番主砲塔の砲員に高温の火炎で被害が生じることが建造後に判明した。このために照準穴の位置を変更する工事が行われた。
本艦の船体形状は高い乾舷を持つ短船首楼型船体であり、外洋での凌波性は良好であった。構造を記述するならば、艦首から前向きに連装タイプの1番主砲塔1基を配置、そこから甲板よりも一段高められた上部構造物の上に艦橋構造が配置される。艦橋は下部に司令塔を持つ箱型に簡略化されており、この背後に頂上部に見張り所を持つ三脚型の前部マストと1番煙突が立つ。

前級と異なる点は1番煙突の背後で船首楼が終了し、そこから1段分下がって中甲板上に立つ2番煙突を斜めに挟み込むように左舷側前方に2番主砲塔が1基、右舷側後方に3番主砲塔が1基配置され、その後方に三脚型の後部マストが立つ。甲板上に主砲塔を配置したために、艦載艇は1番煙突の後方から2番煙突を経由して後部マストまで続く「空中甲板(フライング・デッキ)」を設けて艦載艇を配置し、2番煙突を基部として片舷1基ずつクレーンを配置して運用された。

この形式はイギリス海軍は「ロード・ネルソン級」で用いられた形式で、前後の艦橋との連絡橋としての役割もある。フライング・デッキは2番・3番主砲の片舷斉射に耐えうるように強固に作られたが、爆風で艦載艇が主砲塔上に転落して旋回を阻害する恐れがあったので第一次世界大戦中に1番・2番煙突間の部分を撤去された。

後部マストの後方に4番・5番主砲塔が後ろ向きに背負い式で2基が配置された。副砲の10.2cm速射砲は本級から全てを上部構造物に設置され、艦橋基部と2番煙突基部と後部マスト基部の三か所に16門が分散配置された。

本艦の主砲は、前級に引き続き「1910年型 Marks XI 30.5cm(50口径)砲」を採用している。その性能は砲口初速869m/s、重量386kgの砲弾を最大仰角15度で19,380mまで到達し、射程9,140mで舷側装甲284mmを貫通する能力を持っていた。砲身の上下は仰角15度・俯角3度で、旋回角度は単体首尾線方向を0度として1番・2番・3番・5番砲塔は左右150度であったが、4番砲塔は150度の旋回角のうち後部艦橋を避けるため後方0度から左右30度の間が死角となっていた。発射速度は毎分1.5発程度であった。
主砲は前級に引き続き採用された「Mark X 30.5cm(45口径)砲」である。 この砲塔は前級まで水圧式だったのに対し、主動力はフランス式の電動式であった事が一大特徴である。旋回・俯仰・揚弾・装填を全て電動でまかなう意欲作であったが旧来より電動モーターの運用に長けたフランスとは異なり、長らく水圧方式に慣れたイギリスでは各所に苦心の工夫が見受けられたが、いかんせん技術力に劣るために、しばしば作動不能を起こしてイギリス海軍では「電動方式は欠陥」と判断され、第一次大戦前に水圧方式に改造された。 俯仰能力は砲身を仰角13.5角から俯角3度まで自在に上下でき、どの角度でも装填が出来る自由角装填を採用した。旋回角度は船体首尾線方向を0度として、艦首尾の1番・4番砲塔は左右150度の旋回角度を持ち、艦中央部の2番・4番砲塔は舷側に対し180度、反対舷方向には30度の旋回角度を持たせていた。 主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分1〜1.5発である。
この長砲身化はあまり成功せず、高初速化したために砲口がブレて散布界が増大して命中率が下がった。また、砲身の命数が落ちて低寿命となってしまった。

竣工以来本国艦隊に所属し、第一次世界大戦のユトランド沖海戦に参加してドイツのデアフリンガー級巡洋戦艦「リュッツオウ」と砲火を交えている。1919年に予備艦となり、1921年に除籍された。


Wikipediaより
製作:西瓜
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