ロシア帝国海軍 戦艦 クニャージ・スヴォーロフ    1/350 ズベズダ
ロシア帝国海軍 戦艦 クニャージ・スヴォーロフ  
バルチック艦隊旗艦 第一戦艦戦隊旗艦

世界の海戦史において、余りにも有名な悲劇の戦艦。
クニャージ・スヴォーロフはボロディノ型の一艦として、バルチック造船所で1902年9月25日に進水。
同型艦ボロディノ、アレクサンドル3世、アリョールとバルチック艦隊第1戦艦戦隊を編成する。
日露戦争の勃発で、旅順に封じ込まれた太平洋艦隊と合流し、日本海域の制海権を確保するためはるばるヨーロッパから東アジアまでの大航海に乗り出したが、ウラジオストックまで後わずかの5月27日、対馬沖で戦艦三笠を旗艦とする日本海軍連合艦隊と激突。
開戦後僅か数十分で多数の命中弾を受けたスヴォーロフは、日本海の荒波に消えていった。
クニャージ・スヴォーロフはフランスで設計・建造された前弩級戦艦「ツェサレーヴィチ」をベースにしてロシアで改設計し建造されたボロディノ級の一艦。
副砲を連装砲塔化するなどの先進的な設計だったが、ロシアでの建造において重量増加となり、計画の排水量が大幅に上回ったこともあって、航洋性や復元性に劣りバランスの悪い戦艦となってしまった。
同型艦にボロディノ、アレクサンドル三世、アリヨール、スラヴァ、クニャージ・スヴォーロフの5艦がある。

武装は主砲に30.5cm(40口径)連装砲2基、副砲に15.2cm(45口径)連装速射砲6基、 対水雷艇用に7.5cm(50口径)単装速射砲20基、オチキス 4.7cm(43.5口径)単装速射砲20基が装備されており、当時の艦艇としてはかなりの重武装であった。
またその他に、魚雷発射管4基にマキシム機銃や50個の機雷も搭載していた。
日本海海戦では、敵前丁字回頭を終えた日本海軍連合艦隊からクニャージ・スヴォーロフに対して一斉砲撃が行われ、クニャージ・スヴォーロフに向けられた3射目が前部煙突を吹き飛ばし、続く砲弾は司令塔の覗き窓に飛び込んで大きな被害を出し火災が発生。
クニャージ・スヴォーロフは甲板上や艦内の各所で火災を起こしながら戦列から離脱。
艦は12ノットながらまだ航行していたが、再び司令塔内に砲弾が飛び込み、この時点でスヴォーロフは有効な戦闘を行える状態ではなくなった。
開戦から30分間の砲戦で、海戦の大勢は決した。
殆ど戦闘不能になったスヴォーロフは夜間の水雷艇による魚雷攻撃で沈没。
バルチック艦隊司令官のロジェストヴェンスキー中将は旗艦クニャージ・スヴォーロフの艦上で負傷し、駆逐艦ブイヌイからベドヴイに再び移乗し、日本海軍の追撃を逃れたが、日本の駆逐艦漣(さざなみ)と陽炎に捕捉されベドヴイは機関を停止して降伏した。
製作・kudopapa@副長
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