大英帝国海軍 巡洋戦艦インディファティガブル (HMS Indefatigable)


1908年度計画で建造。1911年就役。
就役後、本国艦隊の第1巡洋艦戦隊所属となった。
1913年1月第1巡洋艦戦隊は第1巡洋戦艦戦隊と改名。12月地中海に移り地中海艦隊の第2巡洋戦艦戦隊所属となった。
1914年8月独巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウの追跡戦に参加。11月3日Cape Helles砲撃に参加。マルタで整備後1915年グランド・フリートに編入。

1916年5月31日、第2巡洋戦艦戦隊所属でユトランド沖海戦に参加、独巡洋戦艦フォン・デア・タンの砲撃を受け火薬庫の誘爆により轟沈した。

インディファティガブルが1908年度計画で建造(1911年竣工)され、翌年度計画でオーストラリア政府およびニュージーランド政府の資金拠出によりそれぞれの国名を冠した艦が建造された(ニュージーランドが1912年、オーストラリアは1913年竣工)。そのため2、3番艦は1番艦より出力、排水量が若干増大している。

本級の主砲の数はインヴィンシブル級と同等だが、主砲配置は船体中央部の砲塔2基の間隔が広くなり、反対舷への射撃制限は緩和されている。機関出力はさらに増大したため缶数は32となり、3本煙突の間隔も広くなった。装甲厚はインヴィンシブル級と同じである。
同型艦はインディファティガブル、ニュージーランド、オーストラリアの3隻であり、戦没はユトランド沖海戦でドイツ巡洋戦艦フォン・デア・タンの砲撃を受けて轟沈したインディファティガブルのみである。ニュージーランドとオーストラリアは大戦後はそれぞれの国で小改造を受けながら運用されたが、いずれもワシントン海軍軍縮条約により廃棄となった。
船体は前級に引き続き長船首楼型で艦首に軽いシアがつき、本級の凌波性能が高いことをうかがわせる。クリッパー・バウの艦首甲板から前級に引き続き「Mark X型 30.5cm(45口径)砲」を連装式の砲塔に納め、1基を配置する。その背後に操舵艦橋に組み込まれた装甲司令塔の上に三脚式の前部マストが立ち、艦橋後部には1番煙突があり、2番煙突を挟むように左端に2番砲塔と右端に3番砲塔が乗る。艦載艇は3番煙突と後部三脚檣の周囲の上部構造物上部に並べられ、後部構造物の後ろに甲板一段分下がって、後ろ向きに4番主砲塔の順である。
主砲は前級に引き続き採用された「Mark X 30.5cm(45口径)砲」である。 この砲塔は前級まで水圧式だったのに対し、主動力はフランス式の電動式であった事が一大特徴である。旋回・俯仰・揚弾・装填を全て電動でまかなう意欲作であったが旧来より電動モーターの運用に長けたフランスとは異なり、長らく水圧方式に慣れたイギリスでは各所に苦心の工夫が見受けられたが、いかんせん技術力に劣るために、しばしば作動不能を起こしてイギリス海軍では「電動方式は欠陥」と判断され、第一次大戦前に水圧方式に改造された。 俯仰能力は砲身を仰角13.5角から俯角3度まで自在に上下でき、どの角度でも装填が出来る自由角装填を採用した。旋回角度は船体首尾線方向を0度として、艦首尾の1番・4番砲塔は左右150度の旋回角度を持ち、艦中央部の2番・4番砲塔は舷側に対し180度、反対舷方向には30度の旋回角度を持たせていた。 主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分1〜1.5発である。
副砲、その他備砲について
写真は「オーストラリア」のケースメイト配置の副砲。副砲は前級に引き続き「Mark VII 10.2cm(50口径)砲」を採用した。副砲配置は前級が主砲塔の上に配置されていたが、本級から前部艦橋と後部構造物の壁面にケースメイト式配置で装備された。これは、前級のように主砲塔天蓋部に副砲を配置する従来の方式では主砲発射時は砲員が爆風で吹き飛ばされるためである。よって、副砲を甲板上の上部構造物壁面に埋め込む事により主砲の爆風対策と外洋航行時に波風に砲員が吹き飛ばされる事を対策したものである。しかし、船体の上部に副砲と弾薬庫を配置したためにトップヘビーに悩まされることになった。 配置は前部単装6基に後部単装10基の計16基である。 他に対水雷艇用に4.7cm単装砲4基を6基搭載した。更に対艦攻撃用に45cm水中魚雷発射管を単装で3基内蔵した。

Wikipediaより
製作:西瓜
inserted by FC2 system