ロシア帝国海軍 戦艦インペラトール・ニコライ1世
ロシア帝国海軍 戦艦インペラトール・ニコライ1世
インペラトール・ニコライ1世はロシア帝国により建造された戦艦である。
先に建造された同海軍の戦艦インペラトール・アレクサンドル2世の同型艦として1889年にサンクトペテルブルクのフランコ=ロシア工場にて竣工した。
船体の前部のみに主砲を配置した独特のデザインが特徴的である。
艦尾の上部構造物は提督用の船室となっており、広い内部空間に豪華な設備を有していた。
これは戦闘時にはあまり有用な設計とは言えなかったが、平時の外交航海などでは大いに活躍することとなり、艦隊の外国訪問時にはしばしば艦隊旗艦を勤めた。
日露戦争時にはV・Vスミルノーフ大佐の指揮の下、N・Iネボガトフ少将隷下の第三太平洋艦隊第一分艦隊旗艦として極東へと派遣された。
インドシナ・ホンコーヘ湾外で本体と合流したインペラトール・ニコライ1世は、海防戦艦3隻を従えて第三戦艦隊を編成した。
日本海海戦に参加したロシア戦艦において最古参の艦であったが、戦艦富士の主砲塔装甲に破孔を穿つという日本海海戦において最も深刻な損傷を日本艦に与えたのであった。
他のロシア艦艇が次々と撃沈されて行く中、インペラトール・ニコライ1世は11名が死亡、16名が負傷し3分の2の砲弾を消費するも、破損した一部砲身を除き船体に深刻な損傷はなかった。
辛くも戦場を脱した第三戦艦隊であったが、損傷軽微の当艦を除けば、残る2隻の海防戦艦と途中で合流した戦艦オリョールはいずれも損傷の度合いが激しくとても戦闘に耐えうる状態ではなかった。
海戦2日目の5月15日、日本艦隊に取り囲まれた残存艦隊は竹島沖にてネボガトフ少将の命により、白旗を掲げて日本艦隊へと投降した。
提督以下、艦隊の全乗員は捕虜となり、ここに日本海での戦闘は終結した。
海戦後インペラトール・ニコライ1世は日本海軍に接収され、応急修理と塗装の後、戦艦「壱岐」として帝国海軍籍へと編入された。日露戦争後、砲術訓練等に使用されていたが、1915年に実艦的として巡洋戦艦金剛ならびに比叡の砲撃にて沈められた。
製作・殺菌消毒
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