ドイツ帝国海軍 戦艦 ヘルゴラント
(SMS Helgoland)

本艦はドイツのド級戦艦第二陣、ヘルゴラント級のネームシップである。
ド級戦艦時代の到来を建艦競争でイギリスに追いつく好機と捉えたドイツ海軍は、最初のド級戦艦ナッソウ級に続き、その拡大改良型として本艦を建造した。
30.5cm砲の採用、縦通隔壁の二重化と区画細分化など火力と防御力は前級に比べかなり改善したが、機関に関しては製造数の限られたタービン機関は巡洋戦艦に優先的に装備されたため、前級と同様にレシプロ機関を装備している。
本艦はジュットランド海戦において英国艦隊と砲火を交えたが、特に目立った戦果もなく帰還している。
その後はこれといった活躍もなく終戦をむかえ、終戦時の抑留艦リストからもはずされていた。
抑留艦がカパフローで一斉自沈したため、その代わりに戦利艦としてイギリスに引き渡され、1924年に解体されている。
イギリス帝国海軍で対比される戦艦としては砲熕兵装の配置が適切でなかった。コロッサス級戦艦(1911年竣工)は30.5cm2連装砲塔を5基装備し、2、3番砲塔が梯形(エン・エシュロン)配置、4、5番砲塔が背負式に配置されている。超弩級戦艦オライオン級戦艦(1912年竣工)は34.3cm2連装砲塔を5基有し、これを全て中心線上に配置していた。

両艦は舷側砲力10門を誇っていたが、ヘルゴラント級は大日本帝国海軍河内型戦艦(1912年竣工)と同じく30.5cm砲12門・2連装砲塔6基を装備、これを六角形に配置しており、舷側砲力は8門にすぎなかった。 その為、次のカイザー級ではコロッサス級戦艦の砲配置に習い、またケーニヒ級戦艦ではオライオン級戦艦の砲配置を参考に全砲塔を中心線上に置き、さらに前後の砲塔を背負式とした。

だが、当時の状況では一隻でも多くの弩級戦艦を抑止力として整備する必要があった。またナッサウ級のラインランドがバルト海の作戦で座礁し、再就役できなかったり、バイエルン級のバイエルンが同じくバルト海で機雷による予想外の損害を受けた事に比べ、ヘルゴラント級の二番艦オストフリースランドが触雷した時は一月の修理で復帰している。アメリカ空軍の爆撃標的艦となった際にはその防御力が比較的優れている事を証明した。

製作:衛
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