大英帝国海軍 戦艦コンカラー (HMS Conqueror)


本級はドイツ帝国海軍による弩級戦艦の大量建造に対抗して1909年度計画で1度に6隻の戦艦の建造を計画し、このうち2隻は「コロッサス級」であり、その改良型として建造されたのが本級「オライオン級」で4隻が建造された。

大いなる変更点は「ドレッドノート」以来弩級戦艦の標準装備であった12インチ(30.5cm)砲から口径を34.3cm砲へと増した事である。これは従来の30.5cm(50口径)砲が、無暗に高初速化を図った設計により砲身寿命が短くなった上、主砲のブレが大きくなり命中率が低下するなどの欠点があったため、34.3cm砲の設計において初速を下げ、代わって大口径化による砲弾重量のアップにより威力の増大をはかって採用されたものである。
本級の主砲配置を示した図。さらに、主武装配置も梯型配置を廃止し、船体中央部にあった2番主砲塔を艦首甲板に持ってくる事でどの角度でも艦首側に1番・2番主砲塔2基計4門を指向することが可能となった。さらに艦形を大型化を抑制するために3番主砲塔も船体中央部に配置された。後部甲板上の4番・5番主砲も相まって準弩級戦艦時代以来、主砲塔を中心線上に配置しなおした初めてのクラスであり、武装配置の効率化も相まってイギリスのメディアでは既存の弩級戦艦を上回る超弩級戦艦(Super Dreadnoughts:スーパードレッドノート)と内外に喧伝した。本級の建造によって世界的に超弩級戦艦の時代が始まったのである。
就役したオライオン、モナーク、コンカラー及びサンダラーの4隻は第一次世界大戦のユトランド沖海戦に参加するものの砲火を交えることなく終戦となり、1922年、ワシントン海軍軍縮条約によって1921年からその翌年にかけて退役したが「サンダラー」のみネルソン級戦艦「ネルソン」の就役まで練習艦に改装されて保有を許されていた。
本艦の主砲は、前述通りに新設計の「1912年型 Mark V 34.3cm(45口径)砲」を採用している。その性能は砲口初速787m/s、重量567kgの砲弾を最大仰角20度で21,787mまで到達する能力を持っていた。砲身の上下は仰角20度・俯角3度で、旋回角度は単体首尾線方向を0度として1番・2番・4番・5番砲塔は左右150度であったが、3番砲塔は150度の旋回角のうち後部艦橋を避けるため後方0度から左右30度の間が死角となっていた。発射速度は毎分1.5発程度であった。


副砲、その他備砲、雷装
本艦の副武装は「1910年型 MarkVII 10.2cm(40口径)速射砲」を採用した。その性能は14.1kgの砲弾を、最大仰角20度で8,780mまで届かせられた。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。砲身の上下角度は仰角20度・俯角10度で旋回角度は360度であった。発射速度は1分間に10発であった。

他に対艦攻撃用に53.3cm水中魚雷発射管3門を装備していた。
防御 [編集]本級に置いて艦形の増大に伴い防御重量が増加され、舷側防御は305mmへと増厚された一方でバーベットは279mmから254mmへと減厚された。

コンカラーはベアードモア社ダミュール造船所で1910年4月5日起工、1911年5月1日進水、1912年11月竣工。1922年12月に練習艦籍で1926年8月まで就役、同年11月に除籍後、1927年に解体処分
製作:西瓜
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